現在地 : コラムのページ

アクセス数

累計:累計のアクセス
本日:本日のアクセス
昨日:昨日のアクセス


実は僕もヤスダのスパイクには長いことお世話になった。 アディダスやプーマは、皮が厚くて、重くて、僕の足は外人向けの靴は全然形が合わなくて・・・。 それに何より値段が高かった。

そんなことから、学生時代にはヤスダばかり履いていた。 大学のOBにヤスダに勤めている人がいて、同期には4年間ヤスダでアルバイトしていた奴もいて、 ちょうど帝京高校が威勢のいい時期で、ミナミスポーツで売っていた青と黄色のエナメルで加工しているカンガルー革のシューズを履いていたこともあり。

大学4年の時には同期の奴に「半端品で余ったのがあるから、一足千円でもいいから捌いて来て」って言われて、 青高の後輩に30足くらい持っていったこともあったような....。

昔なら「ミズノのサッカーシューズなんて・・・」と馬鹿にしていたけど、最近はミズノがいい。 昔のヤスダのように日本人の足に合っているし、皮の材質や丈夫さの割りに値段が安い。

僕の父親は長坂先生とほぼ同い年。高校まではラグビーをしていたんだけど、大学に進んだらラグビー部がなくて サッカー部に入って、仲間でチームを作ってラグビーの公式戦に参加したんだそうな。

僕がサッカーを始めたのも父親が旧制高校だかのサッカー部OB会の親睦試合へ何度も僕を連れて行っていたことが元。 おじさん達が昔の仲間や白髪の大先輩達と一緒に大汗かいて走ってボールを蹴り、 その後にクラブハウスで楽しそうに歓談しているのを見て、野球少年はサッカーをしたくなった。

思い起こせばサッカーやラグビーの歴史も父親から何度となく聞かされて育った。 サッカーの発祥からボールの材質。ルールやその背景にあるスポーツマンシップも。 長坂先生の文章にあった竹腰重丸って名前も父親はよく口にしていた。

父親自身がスポーツは何でも好きだったし、僕も興味を示したのでしょう。 我が家にはスポーツグッズは沢山あった。特にボールは何でもって言っていいくらい。 ピンポン玉から野球の硬球、軟球、A、C、L。 B球もあっった。友人は「固いから当たると痛いから嫌だ」と言って使わなかったけど、 僕はそのボールを使って草むらで野球をするのが本物っぽくて好きだった。

バスケットボールもハンドボールもあったし、ソフトボールもあった。 ラグビーボールもあったし、アメフトのボールも気がついた時には我が家にあった。 砲丸投げのボールまで(なんでだろう)

もちろん、ニードルで絞めるサッカーボールもあった。でも、古いボールは嫌いだった、 ニードルが甲に当たると子供にはとても痛くて。スネアテも最初は父親からのプレゼントだった。

竹が中に入っていて、その外側に綿みたいな緩衝材で覆って、帆布で包んだもの。 サッカーグッズで身を固めて朝まで寝ていたこともあったっけ。 ストッキングは太い毛糸で編んだもの。もちろん足掛け式。 ソックス一体型が主流になったのは僕が高校から大学になる頃でしょう。 最初の頃はシャツの背番号の素材が変な奴で、洗濯する時に繊細な扱いをしないとすぐにボロボロ 毛羽立ってはがれていくものでした。

by 寺尾 直哉( 1981年卒 )


この記事への返信コメント
Copyright © 2003-2008 東京都立青山高等学校サッカー部OB会