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【No.005】幻想の中の旧青高校舎

小学生の頃は野球少年であった。

当時、高校野球の甲子園代表を決める東京都大会は、その大詰めの準決勝、決勝を神宮球場で行っていた。 確か3年生の時、初めて父親に連れられ、王選手が早実の投手としてマウンドに立っていたことを覚えている。 5年生の時も、それまでと同じように父親に連れて行ってもらったのだが、小学生の料金が無料とのことで バックネット裏での観戦になった。試合そのものは覚えていないが、終わって出た処が丁度球場の正面玄関になった。 いつもの内野席でみていたら別な出入口を使ったであろう。

ブラブラ歩き始めた道の向こう側に、綺麗なコンクリート建ての建物が何か学校風に立っていた。 私が聞いたのかどうか覚えていないが、父親が「青山高校で、都のモデル……だ」と教えてくれた。 “モデルスクール”と言ったのか、“モデル校舎”と言ったのか、これも今となっては定かでない。 しかし、校舎と言えば木造2階建てしか頭に浮かんでこない小学生にとって「すごいな!」という印象を持ったことは確かである。 旧青高校舎は昭和33年5月に竣工し、その時は昭和34年だから真新しく、その辺りでは際だっていたに違いない。 一方、今の新校舎は新しくはあるものの、際だっているとは感じられない。 回りに、或いは東京中に種々雑多な新築建物ができているため、都立高校の校舎程度ではデザインとしての新しさを感じないのかもしれない。

おそらく、ある事件がなければ青高生になった時、感動をもって小学生当時を思い起こしていたはずである。 中学校に上がる直前、その中学校の校舎が火事で一部燃えてしまい、その後、跡地に新校舎が建ったのである。 新校舎は当然、光り輝く?コンクリート建てであったが、1学年、12クラス、1クラス60名弱という団塊世代は、 3年生で新校舎に入り、ようやくその恩恵を満喫できるようになったのだ…。 青高に入ってみると中学校の新校舎の方が綺麗でいいな、程度の印象しか持てなかったのもやむを得まい。

今浮かんでくる旧校舎は新築建物の模型のようで、現実に高校生活を送った旧校舎のリアリティはない。 だが、この年になってようやく小学生時代の父親との思い出が浮かんできたのはOB会の存在を介してであり、 その設立に努力されたOB諸氏のお蔭だと感謝せねばなるまい。

(2006年1月 記)

by 吉井俊夫(1967年卒)

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