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【No.004】夏合宿のあの一言で、いまの私がある

さてさて、何を書こうか。

我らが青山高校サッカー部の歴史の原点「サッカー同好会」から「サッカー部」に昇格した時の 生徒総会での劇的な「応援演説」の話は、柿崎先輩が「コラム:昔の話」の中で、 また姫野先輩がOB会報のNO.001で詳しく述べておられるので、この領域に踏み込むことは遠慮したい。

さらに往時のチーム内容や戦績、全体の話は、当時から既に「飯よりもサッカーが好き」と言う山本進三主将に譲りたい。 垣内(かいとう)前主将の後は「こいつしかいない」とまさしく全員一致で推挙されキャプテンに就任、 さらにさらに大学進学後はあの体育会「ソッカー部」へ入った伝説の?センターフォワード(この名称も古いね?)なのだから。

となると次の思い出は、硬式野球部とのグランド使用日が重なっていた日に、野球部の打った鋭いライナー性の打球が、 我らがサッカー練習中の一人を直撃したと言う「硬球顔面直撃大事件」だろうか。 といってもこれはご本人の名誉のために書くわけにはいかない。

では次となると、ドイツから帰国子女として入部してきた和久田氏のことか。彼はサッカーは本場仕込みの迷プレー? でならしていたが、蕎麦がうまく食えない。ズズズ?と吸えない。今でも商売を続けている外苑前の「増田屋」で、 練習後にそばをスパゲッティ風にモチャモチャと食っていた。こんな話も本人を前にして出し抜くわけにはいかない。

さらに総ガラス張り4階建て、当時都立高校のモデル校(学力とか風紀が秀でていたわけではなく、単に校舎が立派という意味) だった話や、周辺の東京ボウリングセンターや神宮球場、秩父宮ラグビー場の話は、67卒の吉井氏が「一番古いで賞」狙いで、 全精力を傾けて寄稿してくるものと思われる。

さてさて仕方がないので、私が唯一、サッカー部で学んだ人生教訓の話を「まじめに」書く。

それは2年のとき。部に昇格してから初めての夏合宿。それまでの同好会時には合宿などない。しかもルーティンの トレーニングでも何をしていいのか分からず、手探り状態のレベルなのに、いきなり合宿だ!と言われても困った困った。 で、当時都立でありながら全国大会でもベスト8だか4だかまで勝ち残ったと言う駒場高校、そこのヘッドコーチ久保先生。 この先生に我らがサッカー顧問の風間有先生から指導をお願いしたわけだ。

渋川?あたりの学校の校庭を借りていただき、近くの民宿に泊まっての小1週間ほどの合宿だったと記憶しているが、 はっきり言って練習内容やらは全く覚えていない。群馬だけに何回か久保先生からも雷が落ちたということから、 我々は随分とちゃらんぽらんな練習態度だったのだろう。

でもひとつだけ覚えている言葉がある。強烈に私に襲いかかった言葉がある。 それは久保先生の
「失敗してもいいんだ。人間なんだから失敗は当たり前だ。大切なのはその後、その失敗をカバーするために何をするか。 カバーに回るのか、再度アタックするのか。それが重要なんだ。それを考えろ。失敗して頭をかいてる暇はないぞ!」
いま思い出してもいい言葉だ。

強い言葉だ。私の人生に大きな影響を与えた言葉だ。確かにそうだ、釜本だって杉山だって、木村和司だって、みんな失敗するんだ。 ベッケンバウワーだって失敗したぞ。ペレもよくミスキックしている?だろう。そうだ人間なんだから 「失敗してもいいんだ。大事なのはその後をどのように懸命に全能力を振り絞ってカバーするかだ」。

その後、私は人生で何度も失敗をしてきた。我ながらどん底と感じる時もあった。雨がしょぼしょぼ降る中を、 公的資金放出による緊急融資特別枠のくじ引き(いかに零細企業とはいえ、人の一生を決めるという大事な融資の決定を 「商店街から借りてきた福引き用のくじ引き器」で決めるとは・・・)のために延々と殺気立った列に並んだものだ。 何回も何回も転職をした。興した会社は2回もつぶれちまった。でもでもその度に 「人間なんだから失敗することもあるさ。大事なのはその後のフォローなんだよ、な。頑張れ頑張れ」 と自分にいい聞かせながら、やっとここまで生きてきた。

泣かせる話だぜ。もしサッカー部に所属していなかったら、もし同好会から部への昇格がなかったら合宿もないし、 しかもあの時、久保先生と出会わなかったら、さらにあの時の一言がなかったら、現在のオレもいないんだ。

人生、失敗もある。大切なのはその後だよ。失敗を恐れずに何事にもチャレンジだよ。

最近でも私はよく失敗をする。そしていまだに「人間なんだから失敗しても当たり前だよ」と考えることにしている。 もっとも最近は「アル中ハイマー」で「大事なのはその後のフォローだよ」という言葉はどこかに置き忘れてきているのだが。

何はともあれ青山高校サッカー部「第1回目の夏合宿」での一言が今の私を創った、 いや幾度か人生の分岐点で、立ち直らせてくれたことだけは確かだ。

(2006年5月14日 記)

by 高橋増郎(1966年卒)

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